レ・ヴァン・ズエットの陵墓
Lê Văn Duyệtレ・ヴァン・ズエット黎文悅(1763〜1832)の陵墓にお参りに行ってきました。
現在、私がビジネスを行っているホーチミン市はベトナム戦争が終わるまでははサイゴンと呼ばれていたことは多くの人が知っていると思いますが、更に昔にはGia Địnhザーディン嘉定と呼ばれていたということを知らない方も多いと思います。
現在のホーチミン市はインドシナ地域がフランスに植民地にされるまでは、ザーディン城という城郭に守られたザーディン府という街でした。
このザーディン城はフランスの統治と共に破壊されてしまいましたが、今でもホーチミン中心地の地形や通りはその当時の名残が残っています。
ディンティエンホアン通りの角にザーディンと書かれた当時を思い出させる遺構がしっかりと残っています。
この遺構のディンティンホアン通りの挟んで反対側に、レ・ヴァン・ズエットの陵墓があります。
ズエットは現在のベトナムとほぼ同じ地域を最初に支配した阮朝 (1802〜1945)の成立に大きく関わっています。そしてホーチミン市地域 (ザーディン府)が都市として大きく発展する基礎を作った人でもあります。
嘉隆帝(ザーロン帝)はタイソン (西山)朝を打ち破ることにより阮朝を成立させますが、その最に大きく活躍したズエットは嘉定(ザーディン)城総鎮として南部ベトナム の自治権を 授けられます。
ズエットは戦争の際にフランス宣教師やシャムの力を借りたり、総督になった後はかつて敵側だったタイソン朝の旧臣や中国人を取り立てたり、開明で実利的な人物であったことが伺えます。
軍事だけでなく経済面で南部ベトナムを発展させました。
嘉隆帝の後も 2代皇帝、明命帝 (ミンマン帝)に仕えますがミンマン帝の儒教政策とズエットの開放的路線が合わなかったこともあり、ズエットの死後は南部の自治権は縮小されズエットのその当時の墓所も荒れたままにされたようです。
現在のこの陵墓は、 1937年に有志によりキレイに改修されたものです。色とりどりのタイルで装飾された建物は強い日差しの中にくっきり浮かび上がりはっとさせる美しさを持っています。
私は今このホーチミン市の勢いのある文化に魅力を感じて拠点としていますが、この街のその経済的勢いの始まりがこのズエットの統治だったことを感じながらお祈りをしてきました。
最後に祈祷所の横に設置されたおみくじコーナーでおみくじを引きます。
日本のおみくじとだいたい仕組みは一緒で各番号ごとに置かれたおみくじを引きます。
ベトナム語と漢字で書かれたおみくじを引きました。
また明日からがんばるぞ!